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「クエルナバカの碧い空」 -呑気家族のメキシコ移住計画- |
出版:近代文芸社 石田 かり・著 |
#5. 著書「クエルナバカの碧い空」紹介 著者:石田かり 発行元:近代文芸社 価格:1800円
この本の紹介: 元キャリアウーマンが、結婚して突如、主婦兼二児の母と なって2年目に、夫の赴任に伴ってメキシコへ渡り、赴任先のクエルナバカ に一目惚れし、移住を決意するまでの経過を、毎日の生活の中で起こる出来 事を通して、綴ったものです。スペイン語学校に一年間通ったのち、習いた ての言葉を駆使して図々しくも様々な方面に首を突っ込んで、ゆく先々で感 じる生活実感。あまりにおしゃべりで陽気なメキシコ人に圧倒されながら、 地方都市のメキシコ人気質、教育制度や家族の在り方、何でも有りの道路事 情や交通規則、ボランティア活動や、住宅事情、世界有数の気候の良さなど、 様々な視点から、日本を捨てて移住するに値する別の世界をお見せします。 第7章 「運転しよう」から一部抜粋 二日目の帰り道、曲がるべき角を間違えて真っすぐ行ってしまって、知ら ない道に入ってしまった。思い切ってUターンしようとしたら、後から来た タクシーが、ここは一方通行だからUターンはできないという。どうして良 いか分からなくなって、道端に止めてグジグジと考え込んでいたら、さっき のタクシーが戻ってきて、どうしたのか聞いてくれた。そうして、知ってい る場所まで誘導してくれるという。その日は、メキシコへ来て初めて、髪を 切ってパーマをかけようと思っていたから、よく行くショッピング・センタ ーまで連れていってくれるように頼んだ。 どこをどう通ったか、親切なタクシーの乱暴な運転に、遅れないようにつ いて行った。金はいらないと、遠慮するタクシーの運ちゃんは、命の恩人に だからと、やっとタクシー代分の10ペソだけは受け取ってくれた。無事に パーマもかけられたし、家にも辿り着くことが出来た。よく知っているはず の道なのに、迷子になるのだから、運転技術を覚えるのと、道を覚えるので は、全くの別問題だ。 信号が青に変わった途端に、後からクラクションが響いた。間髪入れず、 なんという反射神経。でも、信号を無視して曲がって来る車がいたりするか ら、後からクラクションで急かされても、充分の注意が必要だ。 「ここで、運転するには勇気がいるな〜。奥さんも、運転するんですか?」 夫の運転で、日本からの来客と同乗していると、よくきかれる。 「勿論。ここで車が無かったら、生活できませんよ」そして、私は、皆様 方に、ここの運転がどんなに楽かということを、滔々と説明するのである。 日本とメキシコの違いを、一番、肌で感じるのは、車を運転しているとき だ。半年もの時間と、年令に比例したお金と、自尊心の大半を自動車学校に 投じて、やっと手に入れた自動車免許が、ビデオ・レンタル・ショップの会 員の身分証明書にしかならない。「車は慣れだ」という夫の忠告に従って、 近くにスーパーがあるのに、歩いて三十分、違法駐車の車の間を運転しても 三十分近くの所にある、デパートに買物に行ったりしたけれど、それすら恐 くて、だんだん乗らなくなる。 日本で車を運転している人は、百%自動車学校を優秀な成績で卒業してき た人たちだ。私も、その一人の筈だけれど、自動車学校で散々、叱られ、け なされているから、私以外の人は皆上手に見え、トロイ私は皆様のお邪魔者 でしかないのだと、卑屈になってしまう。それに、まわりの景色や、歩いて いる犬や猫も見なければならない(?)し、髪の毛の黄色く染めたお兄ちゃ んだの、超最新モードの女性だの、町には面白い見物が沢山あって、真っす ぐ前だけ見て運転するのは至難の業だ。 第一、対向車の運転手がどんな人かも、私の興味の範囲だから、すぐ対向 車の運転手を見てしまう。これが、過ちは絶対許さない、ぐずぐずしている 者には罵声を浴びせないと気がすまないという、非情の目をしているから、 本当、ドギマギしてしまう。皆、目が三角で真剣そのもの。ハンドルを握る と人格が変わると言うけれど、私に言わせると、本質が出るのだろう。直進、 右折、左折、入るレーンが決まっているから、入ってしまったが最後、それ 以外の、進行の自由は与えられない。許しを乞うて直進レーンから、右折し ようにも、みな目隠しの付いた馬車馬のように、じっと前方の信号をにらん でいるだけだから、合図も送れない。 メキシコでは、非常点滅灯が付いたまま走っていてもいい。曲がる車がウ インカーを出していなくても、或いは左折のウインカーを出しながら右折し ても、誰も気にしない。どこにも脇道の無い高速道路で、ウインカーを出し ている車もなぜか多い。一番右端のレーンから、ウインカーを点けずに左折 する車もいる。思わぬ場所でUターンしたり、道の真ん中で、歩いている人 に道を尋ねたり、すれ違う車同志で挨拶をかわしたり、お話合いを始めたり する車がいる。メキシコ人は、よくクラクションを鳴らすのに、こういう時 には、おとなしく待っている。メキシコ人によると、クラクションはその機 能が付いているということを見せる為だけに、鳴らしているのだから、気に しなくて良いというのだ。人や犬だけではなく、時には、牛や馬まで、突然、 飛び出してくる道路で、あわてる人は誰もいない。ちょっと止まって待ち、 また何事もなかったかのように、運転しつづけるのだ。 もちろん、交通量の多く、忙しい日本の道路では、そうはいかないのだろ う。その点、メキシコは、生活全般にそういえるけれど、特に車の運転に関 しては、“何でもあり”の国なのであり、失敗の多い私にも、安心して運転 できる国なのだ。 しかも、駐車場からバックで出たり、Uターンしなければならなかったり、 どうしていいか途方に暮れたときには、何故か、どこからともなく人が現わ れて、他の車を停止させて、誘導してくれるのだ。どんな道にも、こういう 暇なのか、親切なのかわからない人が、まるで、お助けマンの様に、現われ るのだ。 だから、確かに、運転は乱暴なのだろう。やたらクラクションを鳴らすし、 なにを急ぐか無理な追越しも多いのに、それでも、恐怖を感じないのは、人 々が目と目で合図しながら運転しているからだ。要するに、車は、特別な個 室でも、走る凶器でもなく、単なる靴なのだ。交通規則を知らなくても、歩 いているときと同じ。向かい側から来る人の目を見て、どんどん前へ出て、 どうしても相手の方が早く行きたいと主張したら、道を譲って後につく。目 で合図し、手で合図し、それで通じなければ、声をだす。車に乗っていよう と、歩いていようと同じ事なのだ。たかが、車に乗っているだけで、歩行者 より偉くなったと勘違いする人は、ここにはいない。
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