「クエルナバカの碧い空」
-呑気家族のメキシコ移住計画-
出版:近代文芸社
石田 かり・著
第16章 「スペイン語」から
 −−それに引き替え、スペイン語は冗舌だ。メキシコ人の一大特徴、それは おしゃべり。私がスペイン語の習得にこだわるのは、単に生活をするのに便利 だからとというよりも、メキシコ人がおしゃべりだからだ。−−                             以上抜粋でした。 私が、メキシコ人のおしゃべりにひどく感心するのは、多分、私達日本人が比較 的、表現下手の国民だからかも知れません。日本にいた頃から感じていたことで すが、例えば人込みの中でも、何も言わず手で人を押し退けて行く人がいます。 こういう時、ちょっと一言いえば良いものを言えないのは、傲慢なのか、不精な のか、恥ずかしがり屋なのか。いずれにしても相手は良い気持ちはしませんから、 損なことです。 メキシコ人と話していると、眩暈を起こしそうになることがあります。彼らが喋 るのに合わせて、こちらも頷いたり言葉を挟もうと口をパクパクしている間に、 呼吸困難になり、頭の芯がモコモコして酸欠状態に陥るのです。眩暈を起こさな くとも、数時間話をすると疲れ切ってしまうのですから、単なるおしゃべりとい えども、日常的な訓練が必要なときです。
食べるのをそっちのけで会話が弾む

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私は、コンサートによく行きますが、先日面白い体験をしました。普通、こちら
のコンサートでは、会場が小さくてこじんまりしているせいか、音楽家と聴衆の
間になんとなく和やかな交流があります。#2の文化情報でもお伝えしたように、
演奏家が曲の説明をしたり、冗談を言ったりするし、時には、演奏そっちのけで
おしゃべりする人もいます。お客さんが、「その楽器は何というか」とか、「ど
こで買えるか」等、ちょっと場違いな質問が飛んでも、得意気に返事をしたりし
て、演奏会の時間が長引いてしまったりもします。

ところが、先日、日本からのミュージシャンが出演したときのことです。日本人
が出演するというので、他の日本人にもお知らせして、会場に駆け付けました。
夜9時開演という遅い時間にもかかわらず、メキシコ人の老若男女で、会場がい
っぱいになりましたが、演奏が始まるとちょっと白けてしまったのです。という
のも、この日本人ミュージシャンは、非常に有名人で、現代の作曲家が、彼に捧
げる曲をたくさん造っているらしいのですが、その日のプログラムが、全曲、あ
る作曲家が彼に捧げた非常に難解な現代曲ばかりだったのです。

メキシコの一般の人々はあまりコンサートに慣れていません。入場料が一般の庶
民にとっては高いこともあり、有名な曲でも、途中で拍手してしまったりします
が、そこはもちろんラテンの人ですから、音楽自体は好きだし、そのリズム感は
天然のものです。しかし、この誰も知らない、難しくてメロディーのはっきりし
ない曲の連続に、一緒に行ったメキシコ人の一人は、「初めから終わりまで調律
を聞いているみたいだったわ」と言うし、もう一人は、「哲学の講義みたい」と
言うのも無理ありません。

もうちょっとプログラムに工夫して、新しい曲の他に、万人向けの楽しい曲を入
れてくれても良かったのにと、恨めしく思うのです。がしかし、演奏はとも角、
私の関心を誘ったのは、この音楽家が最初に登場してから、休憩で退場したり、
また出て来たりするときも、一瞬の笑顔も見せず、一言も口を開かず、哲学的な
演奏に終始したことです。これは、メキシコ人から見ると信じられないことなの
です。特に、今回のプログラムでは、誰も知らない曲ばかりですから、そのいき
さつや、どういう意図を持って書かれた曲か等、説明があるのが普通です。黙っ
て始め、黙々と続けられる演奏に、会場がざわめいた程です。私達が誘い合わせ
て行ったメキシコ人たちのコンサートに対する感想は、一言、「increible(信
じられない!)」だったのを、信じられないほど素晴らしかったと解釈できない
のが残念です。 

これは非常に極端な例だったかもしれません。以前、クエルナバカでコンサート
を開いた東京ジャズ・カルテットの連中は、曲の合間に軽妙なおしゃべりがあっ
て、みんなのりにのって楽しんだものです。でも、やっぱり、傾向として、おし
ゃべりのメキシコ人、無口な日本人の構図が出来上がってしまっているのは真実
です。丁度、去年暮れの朝日新聞に、中国の朱首相が、話がつまらない日本人と
は会いたくないと言ったという記事が一面トップで出ていましたが、おしゃべり
の国、メキシコに来てしまった私達だけでなく、全体的努力が必要なようです。

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