現在レストランとなっているこのは、「カサ・マニアーナ(明日の家)」と呼ば
れた由緒ある建物です。
1927年、アメリカ人のドワイト・W・モローは、当時の米国大統領カルヴィ
ン・ク−リッジに任命され、駐墨アメリカ大使としてメキシコに赴任しました。
当時は、高速道路もなく、でこぼこ道を車で3時間もかかる旅でしたが、他のメ
キシコ市民や外国人と同様、大使夫妻も、週末には度々クエルナバカへ来ては、
友人で英国大使のエドモンド・オレイ卿の家に泊まっていたのでした。そうして、
自分たちの家も欲しくなり、オレイ卿の家の近くのアルテアガ通りに、小さな家
を買いました。
アルテアガ通りは、小さな赤い教会まで続く美しい小路で、セントロにありなが
ら遠くの山々が見晴らせます。この小路に一目惚れしてしまったのが、大使夫人
のエリザベスでした。ここに、もう少し大きな家が欲しいと、自分の家に続けて
3軒分の土地を買い、変形S字型の土地を石の階段でつないで、7つも庭のある、
大きな家を建てることにしたのです。
早速、建築士のパンチョ・レボジョと契約を結び、建築が始まりました。その間、
モロー氏が、週末に来ては、パンチョや、装飾職人に、「いつ家が完成するか?」
と尋ねますと、「明日には終わりますよ、旦那」と答えるのです。翌週、戻って
再び尋ねると、やっぱり、「明日ですよ。セニョール・モロー!」と答えたとい
うので、この家は「明日の家」と名付けられ、建築開始から7ヵ月後にやっと完
成した時には、「明日の家−建築家パンチョによる−1928年」と書いたタイ
ルの表札が、入り口の横に掲げられたのでした。
1927年12月14日には、ワシントンからダイレクトで飛行してきたチャー
ルズ・リンドバーグがメキシコに到着し、週末にクエルナバカを訪ねました。ロ
ーマ・デル・カリルという場所に飛行機を着陸させた時には、珍しい飛行機とい
うものを見に、沢山の人が駆け付けたそうです。その際、リンドバーグは、大使
の次女のアンと知り合い、翌年、まさに、この「明日の家」で、彼らは結婚式を
挙げたのでした。
このように、モロー氏とエリザベス夫人は、非常にクエルナバカを愛し、例えば、
教会の修復に力を貸したり、コルテス宮殿にディエゴ・リベラの壁画を贈るなど、
様々な形で大きな貢献をしました。モロー氏が、アメリカで選挙活動をするため
に、1930年9月16日にクエルナバカを訪れたのを最後に、夫妻はメキシコ
を去りました。「明日の家」をモレーロス州の福祉関係の団体に寄付することを
考えていましたそうですが、惜しくも翌1931年10月5日に、ニュー・ジャ
ージー州にてモロー氏が死亡したため、実現しませんでした。
1935年エリザベス夫人が、休暇でクエルナバカを訪れたときに、市役所が、
アルテアガ通りの一部をモロー通りと変更することを決定し、その式典が開かれ
ました。エリザベス夫人は、通りに夫の名前の標識が出ているのを見て非常に感
激したということです。
「明日の家」を修復し、1933年に創立して以来、レストラン「インディア・
ボニータ」は、クエルナバカや、モレーロス州の人だけでなく、世界各地から人
々が訪れています。「インディア・ボニータ」とは、フランス侵略の時代に、ナ
ポレオンによって派遣されたハプスブルゴの皇帝マクシミリアーノの愛人、コン
セプション・セダノと言う女性の愛称、「インディア・ボニータ(美しいインデ
ィヘナの娘)」に因んだものです。マクシミリアーノも、クエルナバカを愛した
別荘族の一人でした。
美しい庭を背景に、伝統的なメキシコ料理にテキーラという組合せはいかがでし
ょうか。食後には、プールのある庭を散歩したり、レストラン内の小さなお店、
「ラ・ティエンディタ」で民芸品を見るもよし。カテドラルやソカロからも歩い
て数分の距離でありながら、静かでエキゾチックな雰囲気が楽しめます。